吊るされたひと

「…げ、なんだこれ」
 ゴードンはキャンパスを覗き込むとあからさまに顔をゆがませた。


 そこは、休日のラウンジ。 例によって、家族たちはプールサイドやら娯楽室やらに散り散りになって短い休暇を楽しんでいた。 皆が好んで外へ行くのを尻目に、バージルはラウンジに油絵の道具を広げ、ピアノの前方、テラスの脇に陣取った。 立派な木製のスタンドの上に布を張った大きなキャンパスが置かれ、バージルはその前で黙々と筆を動かしていた。 そこにゴードンがやってくる。 もう、それは以前から決められていたかのように自然なことになっていた。 ゴードンはバージルがピアノを弾いていても、絵を描いていても必ずやって来た。


「いくらなんでもコレは悪趣味なんじゃない?」
 ゆがんだゴードンの顔には苦笑いが浮かんでいた。
「……うん…そうかも知れないな…」
 バージルはそうとだけ言うと、ゴードンに箱の中の白い絵の具を取ってくれ、と頼んだ。
「そうかもしれないって…」
 絵の具箱の中には、いろいろな色の絵の具がごちゃごちゃと入っていた。 バージルという人間は、それはそれは綺麗好きな男だ。 しわの付いたシャツは絶対に身に着けないし、彼のハンカチはいつも真っ白だった。 それなのに、この箱の中は…。 やっぱりバージルも一介の「芸術家」なのかな、とゴードンは心の中でクスリと笑った。 その箱の中から、やっと白らしき絵の具を見出すと、ゴードンは、はい、とバージルに差し出した。
「サンキュ」
 バージルはそう言ってゴードンから絵の具を受け取ると、パレットの上に白を塗りつけた。
「バージルってこういう絵も描くんだね」
 ゴードンはそう言うと、ピアノの椅子を引き寄せてバージルの隣に座った。 物珍しげに、筆の先だけを見つめて。

 ゴードンはそれきり何も言わなかった。 バージルは少し物足りなそうな顔をしながら、それでも筆は休めなかった。 いつものゴードンなら、バージルが何をしていてもそんなことお構い無しに話しかけてくるのに。


 キャンパスの上には、鎖でがんじがらめにされ、逆さ吊りになっている金髪の男性が姿を現そうとしていた。
(確かに…本当に悪趣味な話さ)
ゴードンの言葉を思い出しながら、バージルもまた苦笑いを浮かべた。 なぜこの絵を描こうと思ったのか、よく覚えていない。 わざわざ絵にするような出来事では無かった。 しかし、気が付いたら自分はこのキャンパスの前に居た。 …そうだ、描かずにはいられなかったんだ、とふと先日のことが頭に浮かぶ。





 それはジョンが宇宙ステーションに向かう、その前日の夜のことだった。 もう夜も深まり、時計の針ももう2時を過ぎようとしていた。 何の拍子だったか、夢で崖から落ちた瞬間ふわっと体が中に舞うような錯覚を覚えたときか、バージルはとにかく目を覚ました。 どういうことでもない、そのまま次の眠りに付けばよい。 いつもならなんの疑問も持たずにそうしただろう。 でも、…その日ばかりはそうする気にはなれなかった。


 変な夢だった。 夢の中で、いつも通り救助活動に向かっていた。 今ではもう自分の手足のように動くTB2号を操縦して。 目的地まであとほんの5分だった。 険しい山の続く山脈。 この山々に新しくトンネルを掘っていた、彼らに災いは降り注いだ。 今作ってきた、そのトンネルが崩れてしまったのだ。 トンネルの中に生き埋めになってしまった彼らだったが、幸運なことに無線は繋がった。 そこで国際救助隊が出動することになった、ということだ。 先に着いたスコットから状況の説明やらが無線で伝えられる。 聞くほどに生き埋めになり、顔を恐怖にゆがませた人々の様相が脳裏をかすめた。 早く着かなければ、と焦り、スピードを上げたその時だ。 一瞬のことで、何がなんだか分からなかったが、とにかく山にぶつかったらしい。 巨大な緑のボディは前進する力も、上昇する力も失い、ただ重力に機体を任せて自由落下した。 「Calling,International Rescue!」…なんちゃって。 緊急脱出用のパラシュートを担ぐと、バージルは2号のフロントガラスを割ると、そこから飛び出した。 このくらいの高度があれば、パラシュートは開くはずだ。 しかし、生き埋めになった人たちは…気の毒に…。 だが、バージルには彼らを心配する余裕は無かった。というか、無くなった。 このパターンのお約束、崖に生える1本の木に引っかかったのだ。 この高度なら助かる…?かな? と思ったのもつかの間、これまたお約束。 その木が悲鳴を上げて、折れた。 ……そんな夢だ。下らない。


 このまま寝たら同じような夢を見てしまいそうで、バージルは続けて寝る気になれなかった。 不吉だ、と思う反面、現実でも起こりかねない事だ。 もしかしたら警告だったのかもしれない。 仕方が無い、とバージルは起き上がり、ガウンを羽織った。 ラウンジのテラスで星を眺めるのも悪くないと思ったから。 数多の星の向こうに、宇宙ステーションで待ち遠しそうに地球を見つめるアランの顔が見えるかもしれない。 フフ、と静かに笑むとバージルは部屋を出た。


 あと三歩。 ラウンジまであと三歩というところで、バージルはラウンジに人の気配を感じ、立ち止まった。 なんて事はない、誰が居たところで家族なのだから堂々と入っていけばよい。 それでもバージルはそれ以上進めなかった。 空気が、バージルを受け入れなかった。
「…」
 何かが聞こえた。 バージルは壁を背にうずくまると耳をすませた。 我ながら大した趣味だと思った。


「……パパ…」
 ラウンジには二つの影があった。 電気も点いてはいない。
「…なんだね?」
 なんとなくだるそうな、そんな声がかすかに聞こえる。 その声色から、バージルはその声の主がパパとジョンだった事に気がつく。 一体、こんな夜中に何をしているというのだ。 その二つの影は、ソファの上に寄り添っていた。 目を凝らせばバージルにもその様子は見えたかもしれない。
「明日から…また宇宙勤務だ…」
「……ああ」
「こんな風に、パパの隣にいる事はできない…」
「……ああ」
 ぎし、とソファが揺れた。 ジョンの影が、ジェフの影に吸い込まれた。

「でも、…僕は幸せです」
「……」
「パパの目になって、…役に立てるんだから」
「……すまない」
 ううん、とジョンは首を振った。
「だって、…力を使う仕事は僕には向きませんよ。…分かってます。スコット達みたいに、体を張って救助活動なんて…」
 そういえば、ジョンがスポーツ以外に体を動かすところ ―肉体労働をしているところは見たことがないな、とバージルは思った。 この基地を作る時だって、僕達、ジョン以外の兄弟はサンダーバードの建設を手伝っていたけれど、 ジョンはブレインズと一緒に設計図をにらんでいたっけ。
「僕には僕に出来る事をするほか無いんです。…だから」
 パパの役に立てて僕は幸せです、そう言ったジョンの顔は、綺麗な笑顔。 だが、それを見る事を許されたのはジェフだけだった。


 ……バージルは立ち上がると、回れ右して自室へ向かった。 眠れる気はしなかった。 むしろ、部屋を出る前よりも悪いくらいだ。しかし…それ以上聞いていられなかった。 ジョンは幸せだと言った。だがそれは辛く過酷な仕事だ。 もしかしたら、いや、もしかしなくともバージルたちのそれよりも…





 白を塗り終えた。この絵の要の色、そしてお終いの色だ。 バージルはフーと息を吐き出すと床にパレットを置き、筆も添えた。 できた、と小さく言うと、大きく伸びをした。

 どす暗い鎖に似つかわしい金髪の青年 ―ジョンの白…。 鎖は重く、汚らしい物にしたかった。 汚らしい…それは宇宙ステーション。 そして、ジョンに甘えるパパと、それを見て見ない振りをしている僕達自身。 「代わりに僕が宇宙に行くよ」、そう言えないちっぽけな自分達…… その対照的な色として白を用いたのはすこし安易だったかもしれないと、塗ってから思った。 けれど、これなら分かってもらえるだろうか…? バージルの顔が少し、晴れた。


「あれ?バージル、できたの?絵」
 バージルの背後から飛びぬけたような声が聞こえた。ゴードンだ。 バージルは振り返ると、…そして気がつく。
「ああ。…あ?あれ、お前寝てたのか?」
「え!?」
 慌てて空中をもがくゴードンにバージルは微笑んだ。
「ほら、ヨ・ダ・レ」
「あ、ああああああ!」
 恥ずかしそうに、ゴードンは袖で口をぬぐった。 そんな事をしたら服が汚れるだろ…、バージルはそう思いながら、それもまたゴードンらしいと思った。 ゴードンらしいといえば、最後の仕上げに白を乗せる。こんな短時間の間に眠ってしまうのもゴードンらしい。


「その絵、ジョンでしょ?」
 少しの時間を空けて、ゴードンは言った。 軽い性格に見えて、実は芯はしっかりしている。 バージルは目を見開いてゴードンを見た。 この絵は、言うなれば自分の心の弱さの象徴でもある。 それをゴードンにも見抜かれたのか? バージルはちょっぴりの嬉しさと、それから後ろめたさを感じた。
「あ、ああ」
 声も心なしか震えた。

「でもさ、やっぱりコレは悪趣味なんじゃない?」
「……?」
「バージルってさ、こーいう趣味、あったわけ?人は見かけによらないねー」
 ケタケタ笑うゴードンに、バージルは肩を落とした。
「やっぱりゴードンはゴードンだなぁ」
 そう小さな声で呟くと、バージルもまた笑い始めた。
「え?何、バージル?何が言いたいワケ!?」
 ゴードンは今度はそう言って頬を膨らませた。 なんて喜怒哀楽のはっきりしているんだろうか…、そう思いながら、バージルは今度はゴードンの絵を描いてみようかと思った。 モデルになってくれなんて言ったら逃げ出すかな?
「あはは。なんでもないよ!」
 そう言って、バージルは画材を片付けはじめた。 床に座り込んで道具を箱に詰めていると、そのうちにゴードンは椅子を元の位置に戻した。
「ねえ、その絵、どうするの?」
「え?ああ…」
 そうだった。 …初めはパパに渡すつもりでいたんだ。…自分のことを棚にあげて、パパを苦しめてやろうと思っていた。 けれど…、今はそんな気分になれなかった。 描いていくうちに気がついた。本当はパパも辛いんだって…


「ま、いいや。でもさ、絶対アランには見せないほうがいいよ。家族じゅうに言いふらされるから。 "バージルには変な趣味がある"ってさ!……じゃ、僕、夕飯までプールで泳いでくるよ」
 そう言って、ゴードンはバージルの脇をすり抜けて走っていった。
「……そうだな」
 バージルは笑いをかみ殺してそう頷くと道具箱のふたを閉めた。 あとは絵をどうにかするだけだった。 …それが一番の問題なわけだけど。


「でもさ、ジョンにはその鎖、もっと他の…温かいものに見えているんだろうな」
 ゴードンの声が聞こえた。 ふいと頭を上げ…しかしそこに声の主の影は無かった。
「ゴードン……」
 バージルは心に、隙間風の吹き込む感覚を覚えた。……
その絵はどこか人目につかないところに置いておこうと思った。 さしあたり、自分の部屋といったところか。

 けれど、やっぱり捨てる気にはなれなかった。 これは自分の目に映る真実だったから……。


 自分には自分のできることがある…、この間のジョンの声が聞こえた気がした。 バージルの仕事は…2号の操縦と、被害者の救助だ。 夢のようにならないよう…バージルは心を引き締めた。一歩間違えれば死が待っている。


 絵の中のジョンは、静かに笑っていた。


END----


あとがき
パパ×ジョン…か?ていうかバージル+ゴードン?
私的にはパパ×ジョン←ゴードン←バージルまで書いた気分です。
となると、あとは「←スコット←アラン」の部分を書くだけですな(笑)!

吊るされたひと」の捕捉のつもりで書いたはずが…
何がなんだか分からなくなってしまいましたとさ、あーあ。

2004/3/23 なへめろ
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