いつもの朝ごはん
3ヶ月ぶりに主を迎えた彼の部屋は、長い間使われていなかったにも関わらず、隅々まで清掃が行き届いていて
(おそらくはキラノのお陰だろう)。
パリパリに干されたシーツのかかったベッドの上、彼は泥のように眠りに就いていた。
それはジョンが宇宙ステーション勤務を終えた翌日のこと。
「う…ん……」
ジョンはその日初めて寝返りを打つと、その顔に照りつけたまぶしいほどの光に思わず声を上げた。
わざとカーテンを開けたまま床に就いたため、日がベッドまで届いていたのだ。
まだ動きたがらないまぶたを恐る恐る開けば、その視界に窓の向こうの景色が飛び込んでくる。
海は穏やかに波打ち、空には雲が好き勝手に散りばめられていた。
―もう夜が明けた…のか
彼はその風景、いや、その場面に限定した事ではないが、地球の魅せる表情が好きだった。
長期間滞在している宇宙では、決して見ることのない、しかし何気ないそれは、ジョンの心を大きく包んだ。
やはり地球は美しい星だと、外の世界を知ったからこそ実感として知ることが出来る。
だからジョンはカーテンを使わないのだ。
地球の表情を、短い帰還時に可能な限り心に焼き付けておきたかったから…。
恐ろしいくらい真っ青な景色をしばらくぼんやりと眺めていたジョンだった。しかし、やがて1つの決定的な違和感を覚えた。
それは海の合間からトビウオが顔を覗かせたことでも、雲の間に1本のヒコーキ雲が延びていたことでもなかった。
―朝にしては、ずいぶん日が高い…?
いささかその風景にも飽き、再び眼を閉じようとしていたジョンであったが、その事実に気がついた瞬間、がばっと身を起こした。
―……まさか!
そのまさか、は不幸にも的中してしまった。
彼が慌てて手にした目覚まし時計は、無情にも10時の後半を指している。
アラームは設定された時間中鳴り続け、やがて止まってしまったらしいことを、スイッチが「on」に入ったままの状態が物語っている。
―しまった!
トレーシー家には、昔から暗黙のうちにいくつかの決まりごとがあった。
その決め事には、家族の間だけで共有しているものも多く、
全てを、同居しているブレインズやキラノでさえ知っているわけではなかった。
中には、家の鍵は玄関の脇の花壇の中の小さな缶の中に入れておく、などの重要なこと
―しかしそれは今の生活には不要なものだ― から、
セロハンテープは最後に使い切った人が交換しなければならない
―そういえば昔、交換するのを面倒臭がったゴードンがほんの1cm残して放っておいたのを次に使ったバージルに見つかって笑われていたっけ―
とかいう、ほとんどどーでもいいようなものまであったが、その中にも、いくつか今の生活に幅を利かせているものがあり。
その一つに、朝は遅くても8時には起き、全員揃って朝食を摂る、というものがあったのだった…。
決まりごとは決まりごと。
しかもそれはジェフから直接言われたものでもなければ、全員で決定したものでもなかったから、
実際は、しょっちゅうゴードンやアランが寝坊したりしていた。
それらの「暗黙の了解」は、トレーシー家における単なる生活の指標のようなものに過ぎなかった。
しかし、だからこそ、ジョンはそれを破ってしまった自身を許すことが出来なかったのだ。
ジョンは急いでベッドを降り、手早く着替えを済ませると、布団を整えることもしないで部屋を飛び出した。
空にはトビウオを捕らえた鳥が、誇らしげに舞っていた。
「パパ、遅くなりました、すみません」
ラウンジにいきなり飛び込んできたかと思えば、ジョンは次の瞬間、デスクに座っていたジェフに向かって深く下げた。
いつもの冷静な彼からは想像も付かぬその様子に、キラノはジェフにコーヒーを出しかけたその手を止めた。
「なんだね、ジョン。頭を上げなさい」
しかしジョンの頭は下がったままだ。
「ジョン?聞こえないのかね?」
「……」
ジョンは何も言わず、ただ、床に張り巡らされたフローリングの継ぎ目を見ているだけで。
一向に頭を上げる気配はなかった。何が彼をそうさせているのだろうか。
キラノはたまらず「朝お呼びせずにすみませんでした」と言いかけたが、しかしそれはジェフに制止された。
キラノはコーヒーを持ったまま小首を傾げると、やがてジェフは椅子から腰を上げ、ゆっくりとジョンに歩み寄った。
そして、あくまで優しく、ジェフはジョンの肩に手を置いた。
何か悪い事をしてしまう、そうしたら、二度とそのことを繰り返さないようにすれば良い。
二度と過ちを繰り返さない。
それが、後悔に対する謝罪の仕方だと、かつてジェフを諭したのは、他でもない、彼の息子たちだった。
寝過ごしてしまい、悪かったと思う気持ちがあるのならば、二度と繰り返さないようにすればよい。
単なる謝罪は、何の解決にもならない。
そうやって、過去、ジェフを勇気付けた、その当人がどうして?
何故ジョンは敢えて頭を下げたりするのか。
ジェフは、温かい笑顔をジョンに向けながら、しかし厳しい口調で言った。
「さあジョン、頭を上げなさい。今日寝過ごした罰だ。明日は早く起きてキラノの手伝いをしなさい」
これで良いのだろう、とジェフがそうすると、ジョンはようやく満足した面持ちで頭を上げた。
「はいパパ!」
その後、ゴードンが暇だ暇だと騒いでいたのを思い出すと、ジェフは昼食までプールで泳いできなさいとジョンに言った。
きっと今頃ゴードンはプールに浮かんでいるだろうから。
「はい」
それを知ってか知らないか、ジョンは一言そう言うと、くるりと回れ右して早速プールに向かう。
そういえば、プールで泳ぐなんて久しぶりだ。
キラノがその背中に「空腹は最高のソースですからね」と付け加えると、
ジョンは振り返って「キラノの料理はいつでも美味しいよ」と笑った。
そうして、ラウンジに再び静寂が宿った。
「トレーシー様?私が言うようなことではないことは重々承知なのですが…
でも、なぜジョン様に対してあのような言い方をされたのです?」
風の去ったラウンジで、キラノはようやくジェフにコーヒーを出すと、言った。
親子に介入するのは悪いか、と思ったが、やはり、何か煮えきらないものが心の中にある。
「ジョン様は宇宙ステーションからお戻りになられたばかりで疲れていらっしゃったでしょうに」
「…ん?」
少し冷めてしまったコーヒーを少しすすったジェフは、キラノを向いた。
そんなこと、ジェフは百も承知のはずだった。
現に、朝食の時間にジョンが居ないことに気がついたゴードンが、「ジョンを起こしてくるよ」と立ち上がったのを
「もう少し寝かせておいてあげなさい」と制止したのはジェフだった。
「あぁ…そうなんだ」
ジェフはそういうと受け取ったカップを片手にベランダへ移動した。
自然、キラノはジェフの後を追った。
「ジョンは変なところで神経質だからね…」
ジェフはそう言いながら、ベランダの手すりに体重を預けると、下にプールが見えた。
中では、競争でもしているのだろう。2人とも懸命に泳いでいる。
あの様子からすると、何か賭け事でもしているに違いない。
「変なところで…?」
「ああ。いや、もともと几帳面な性格だったけれど……やっぱり私が悪かったんだ」
「トレーシー様が、ですか?」
相変わらずみえない会話に、キラノは聞き返した。
「あそこまで彼を追い込んでしまったんだ。悪かったと思っているよ」
「5号勤務のことですか」
「やっぱりジョンにも相当応えるらしい。…私たちの前では決して弱音を吐くことなんてないけれど」
「それとさっきのことと、何か関係が有るのですか?」
「勿論だとも。ジョンは、恐らく孤独を恐れているんだ」
「?」
「ああ、君は知らなかったか。昔から、朝食は皆でとる事になっていてね。
―いや、決めたわけではないんだが、何故かその時間になると皆集まったんだよ」
「ええ」
そういえばトレーシーアイランドで住むようになってからも、誰が呼ぶでもなく、8時には皆で食事を取っていたことに気がついた。
「しかし、ゴードン様やアラン様は時折寝坊なさいますけどね」
キラノが言うとジェフは笑った。
「それも昔からよくあった事だよ」
ゴードンもアランも、寝坊すれば次の日は必ず時間までに起きてきた。
誰に叱られたわけでもないのに。
トレーシー一家とは、そういうものなのだと、ようやくキラノはおぼろげながら感じた。
「…?なら、どうしてジョン様はトレーシー様に謝罪なさったのでしょう?」
ここまでジェフの話を聞いたキラノは、尋ねた。
この理屈からすれば、ジョンは誰に謝る必要はない。
「そこなんだよ」
ジェフは一呼吸置くと、話を続けた。
「キラノ、3ヶ月前になるかな、ジョンとアランが宇宙勤務を交代しただろう?」
「ええ。アラン様、よっぽど地球が恋しかったようですね。それは嬉しそうに帰ってらっしゃいました」
「そうだ。で、その次の日、アランはどうしてた?」
「そういえば………。アラン様は一日中、泥のように眠っていらっしゃいましたね。よっぽど疲れたみたいで。…?」
そうだ、と頷いて、ジェフは遠く空を仰いだ。
「ジョンは寝坊なんてしたこと、無かったからね」
「ええ」
それどころか、地球に帰還している間はいつも一番に起き、朝食の準備を手伝っていた。
その様子と言えば、痒いところに手が届く、というか、キラノが何をしてくれと頼む前によく気が付いて、自分から動いてくれた。
小さな頃からお手伝いさんたちの手伝いをしていたのだな、とキラノは日ごろから感じていたのだ。
「きっと、いつも自分がしている仕事が出来なかったことに寂しさを感じたのだろう…」
「はあ?」
「宇宙勤務が長いからね。きっと今朝は客のような扱いを受けて不服だったんだ。…私はもっと彼に休みを取ってもらいたいのだけどね」
そう言ってジェフは笑った。
「そうでしたか」
キラノはにこりと笑うと一歩下がった。
「それでは、明日はいつも通りジョン様にも朝食の準備を手伝っていただきますね」
「そうしてくれ」
ジェフは名残惜しそうにベランダを後にし、デスクに向かった。今日も仕事がたまっている。
キラノはキッチンへ向かう。…そろそろ昼食の時間だ。
プールにはまだ、2人の泳ぐ姿が見える。
END----
あとがき
長い間温めていたネタだったのですけども、結局こんな仕上がりになってしまいました;
一番書きたかったのは冒頭のジョンが寝ぼけてるシーン…(笑)
相変わらず動機不純です;
ま、でも私の好きなキャラを一通り出せた気がするのでこれで良し、ということにしておきます(笑)
所々突っ込みどころもありますけど、ご容赦を。
おいおい穴のある部分は埋めていきたいと思います。
2004/1/24 なへめろ